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西

​湖の風景

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葭留の文字

​西の湖の風景

 ヨシは4月に芽を出し、5月には葉っぱが両手を上げたように背伸びをしているような、生き生きとした緑の光景と、鳥のヨシキリがはげしい鳴き声で、刈残ったヨシの先に止まって、鳴いているのを見ることができます。背がどんどん伸びて、ヨシが話をしているようなにぎやかな緑の森ができていきます。8月のお盆を過ぎるころには黄色い穂が出て成長はほとんど止まり、9月頃葛色の穂に変わっていきます。11月末ごろになると緑の葉も枯れてきて茶色に変わって、12月の末には北風に吹かれて、葉をもぎ取られてなお風に揺られながらも、凛として立っている冬のヨシ風景です。葉が落ちてヨシ刈りが始まります。3月にはヨシ刈りが終わり、末になると気候が少しずつ暖かくなり、ヨシの新芽が土から顔を出すと、一斉にヨシ地焼きをします。視界を遮っていたものがなくなり真っ黒な焼け野原になり、焼けた芽の脇からまた新しい新芽が出て、一雨ごとにヨシ地が黒から茶色・新緑へと変わっていきます。琵琶湖八景の一つ「春色安土八幡の水郷」です。

 西の湖は琵琶湖の内湖として一番大きな内湖になりましたが、以前は大中の湖・小中の湖・西の湖(常楽寺湖)などの内湖があり、その中を島が連なって、内湖を形成していました。しかし、太平洋戦争の最中、食料不足から「小中の湖」が干陸さてれヨシ地を提供してきました。

 織田信長が安土に城を構えた時に、安土山の北の方は内湖がせまっていて、いざ城を攻められたら湖の中を歩いて、西の方へ逃げられるように、渡海路を作っていたくらいで、それは小中の湖が、干陸されたことによって判ってきたのですが、それだけ多くの島が連なっていたのです。その島の間を繋いで小中の湖干拓ができたのです。

 また「大中の湖」の干拓事業にもヨシ地を提供してきましたが、大中の湖干拓築堤はヨシ地の砂州状になった所を通る予定でした。しかしそうなるとヨシ地が大きく減るので、地主の祖父と数名の関係者などで話し合いをして、ヨシ地を減らさないように考えて、ヨシ地の沖合50メートルの位置に築堤を作ることにし、その上で干拓事業に協力しました。

 また大中の湖干拓工事の最中、大中の湖工事事務所より、西の湖の干拓計画を立てて、ヨシ地主の皆に再度協力要請がありましたが、しかし西の湖まで干陸されれば、最後の砦である「近江特産ヨシ」は壊滅的状態になるので、絶対反対をしてヨシ地を守ってきました。こうして西の湖のヨシ地は、私有地であったおかげで今の自然が残ったのです。

琵琶湖ヨシ群落
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 昭和47年に中国との国交回復で、50年代になると中国のヨシやスダレが大量に入ってきて、大きく打撃を受けました。それまではみんな手刈りで、水の中まで一本残らずに刈り取っていたヨシが、売れなくなって刈り取られなくなったのです。そこへ追い打ちをかけるように、昭和50年代に入り生活が高度経済成長も伴い、生活雑排水や農薬などが湖を汚して、ヨシが窒素過多や黒汚れ等で悪くなるなか、中国から見た目が美しい、安いヨシやスダレが輸入されて、刈り取っても売れなくなったのです。

琵琶湖の西の湖1
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 そこで、滋賀県は平成4年に、琵琶湖の水辺の環境を守るために「ヨシ」を取り上げて、「ヨシ群落保全条例」をつくってヨシ群落を増やし、冬に刈り取り・火入れ・清掃などの維持管理をするようにしました。ヨシは太陽が育ててくれて、水・土・空気を浄化しています。わたしたちの生活している中で大切な環境の3要素が、ヨシの刈り取り・活用によって浄化してくれているのです。

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 干拓・埋め立てに適する湖岸は一般的に遠浅で、ヨシなどが茂っていることが多く、この付近では魚類の産卵場や、稚魚の育成場としての役割と川から流れ出した、ゴミや汚物をフィルターのように食い止め、沖に出さない浄化作用の役割があるのです。

 ヨシの群落は小動物の隠れ場になるので子育てがしやすく、魚や鳥などの食物連鎖によって、小動物から狸まで生息しています。又、7月頃から10月初めころまで、ツバメがやってきて何万羽というツバメが、南の方に帰る準備をするために、夕方一斉にヨシの中に入り、止まってねぐらにするのです。また、ヨシの群落は、ヨシが水生植物ですので、水分をたくさん空気中に放出するので、気温が上がりにくく気候の安定にも役立っています。

 そこで平成4年春から「ボランティアのヨシ刈り」を15年続けてきて、ヨシに目を向けてもらいましたが、刈り取っても活用しなければ、刈り取った意味がないのです。活用することが次の刈り取りに繋がると考えたのです。

 それで平成18年から19年にかけてボランティアの人達と話し合った結果、「西の湖ヨシ灯り展」を立ち上げました。今年で13回目になります。ヨシの利活用を目的に、ヨシを使うことで商品開発に繋げて、活用が刈り取り・火入れ管理・ヨシ地の生息保全に役立っています。

「西の湖ヨシ灯り展」は子供から大人まで、部門別に分けてやっています。子供の頃からヨシを触り、作品を作り、勉強して環境を考え、自然に親しむことでヨシで何か出来ないかと考えてほしいのです。

また大人になったとき、こんな使い方をしてはと、ふと思うようになればと考えます。

 いま出品数は400点以上ありますが、子供の作品が多くて中学や高校・大学・一般大人の作品が少ないのですが、最初のころの作品からみると、年々作品の制作度は上がっていますので、甲乙をつけ難く作品審査も難しくなっていますが、大変素晴らしいものが出てきています。

 先祖が残してくれた美しい風景を、次の世代に引き継いでもらうためにも、アイディアを生かし、新しい使い方を提案して、後継者を育てヨシの活用を促していきたいと思っています。

アンカー 1
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 琵琶湖の(周囲)外湖のヨシ地は約130ヘクタールに対して、内湖の西の湖はヨシ地が約100ヘクタールあり琵琶湖のモデル湖なのです。

 このヨシは慶長年代からヨシ産地として、京都にも近く、利休のお茶の「詫び・寂び」などの文化と結びついて、ヨシ文化を育ててきたところなのです。

 明治4年の廃藩置県で、島はヨシが生えて公有地だったと思われますが、税をおさめたら私有地として認められて、今に至っているのです。(新潟市豊栄の福島潟もヨシ地が私有地です)

琵琶湖の西の湖2
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 西の湖は琵琶湖のモデル湖で、ラムサール条約にも入いって代表的な湖なのです。美しい琵琶湖を取り戻すために、西の湖から進めていき、ヨシも水も環境が良くなることで、琵琶湖が元の美しさを取り戻し、淀川水系の下流府県1400万人の生活用水に、きれいな水を提供できることを望んでいます。

 時代とともに水辺の風景は大きく変化してきました。しかしこれまで先人たちが残してくれた風景は、大きく変えることなく、ヨシが冬の北風に揺らされながらも、凛と立っているような変わらない西の湖の風景を残していきたいと思います。

葭留 竹田 勝博

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